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半径2m以内の弱視の世界

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右目はあきらめようかと

 written by 高橋 正視 投稿日時:2023/06/16(金) 22:39


緑内障も認知症と同じで治すことはできないらしい。
とりあえず目薬で眼圧を下げる治療で進行をおさえるしかないらしい。
右目はすぐにでも全く見えなくなりそうに思ったのでいまから準備をしておくのがよいのかもしれない。
そう思ってしばらくの間は家の中では右目をつぶって生活していました。
当然ですがかたっほうの目だけでは立体感がわからないですね。
でも慣れてくると顔を少しうごかすことによって少しは対応できるようになるのかもしれないと。
しかしこの作戦はよくないのではと考えるようになりました。
この方法を続けていたら私の脳は右目が見えなくなったとおもうかもしれない。

母のおかげで緑内障がわかる

 written by 高橋 正視 投稿日時:2023/06/14(水) 17:49


認知症の母は落ち着いていることも多かった
のです。
あるときコタツの反対側に座っていた母が「最近目が悪くなったようだ」と言ってカタホウの目を片手で隠しながらチェックをしていました。
それを見ていた私も自分も目が悪くなったと思い同じようにチェック。
最初は右手で右目を隠しましたが特に異常はない。
次に左手で左目を隠したら驚きました。なんとめがねの右のフレームくらいしか見えていない。
びっくりして翌朝眼科に行きましたが左右とも緑内障でいくれ失明するでしょうと。
父も緑内障で私は車椅子を押してその病院に通っていたのでした。遺伝性が強いことを知っていたらもっと早く診察してもらっていたのに完全に手遅れの状態でした。
医者は目の中央部から欠けているのでよくない傾向であるとも。
たちの悪い心臓と言われた病院でまたいやな宣言をされてしまいました。
心臓が悪いといわれてからは毎朝起きたときに、よかった生きているので今日も頑張ろうと。
いずれ失明するといわれてからは毎朝起きたときには「よかった今日も見えている」。

母が認知症に

 written by 高橋 正視 投稿日時:2023/06/12(月) 14:10


マラソンの途中で目が見えなくなったときは確かに忙しく仕事をしていました。
自宅から歩いて20分くらいのところに事務所をおいて毎晩遅くまで作業をしていました。
心臓に問題があることがわかったので昼間でも自宅にいて休むことを多くしていたら母の異変にきがつくことになりました。

とにかく両親の口喧嘩か多くなった。
話をそばで聞いていると「今日はまだ何も食べていない」「私の通帳はどこに隠した」など毎日同じことを繰り返し聞いているようだった。
当時はまだ認知症という言葉が定着していなくて父はもちろん私も良く理解していない病気だった。    
ついに父がまいってしまい「婆さんを頼む」と私に。
それから長い母の介護が始まったのですが、私の緑内障を見つけたのは母でした。
 

医者が匙を投げた

 written by 高橋 正視 投稿日時:2023/06/06(火) 06:59


検査後の医者の話は次でした。
「あなたの心臓はたちの悪い心臓のようです。私にはもうどうする「こともできません。しばらくは激しい運動を避けて生活してください。また何か異常があったらきてください。他の病院でもよいですから。」
完全に診察放棄になりました。
心房細動は検査のミスでおきたの
かそれとも私の心臓が時々そうなるのかは結局確認できませんでした。
心室細動はすぐに手当てをしないと死んでしまうようですが心房細動は自分が周囲すればよいのかもしれません。
競走馬も時々レース中に急に走れなくなる理由に心房細動がありますね。
マラソンの谷口選手はレース中に棄権したことがないのに1回だけ危険したのは心房細動だったとか。
先日のダービーでゴール後に倒れてなくなった馬は急性心不全だったようですが走っているときにおかしいことはわかっていたのでしょう。
競走馬は脚が骨折しても走り続けようとするようですから。
私はその後約20年間は激しい運動を避けていましたが目が不自由になると運動不足になるので5年前からまた走り始めました。
1キロ4分台で走っていたのに伴走者と一緒に1キロ8分くらいで。

電気ショックで生き返る

 written by 高橋 正視 投稿日時:2023/06/02(金) 10:15


だれでもよいからと呼ばれた医者が到着したのでしょうようやく説明がありました。
「このような経験はありましたか?」
そういわれても何のことかわかりませんでした。
「実はあなたの心臓が心房細動という状態になって検査ができなくなっています。電気ショックで心臓をリセットしたいのですがいいですか。」
いいですかといわれてもね。パソコンのゲームなら検査前に戻してくださいと言いたいところですが。」
「はい」と言ったら「あなたの体重を教えてください。」と。
体重を教えたら二人の医者で何か相談していたようです。
「このくらいでよいかな?」
電気ショックに必要な大事な計算をしたのでしょう。計算式を教えてくれれば自分でも計算したのにと思いましたが安産では無理だったかも。
何をされるのかよくわからないけれど電気ショックをされる前に寝ておこうと思ったら「1から順番に大きな声を出して数えてください」と。
「いーち、にー、さーん」と小学校の運動会の玉入れを思い出しながら数えました。
「じゅうーいち、じゅうーに、じゅうー」と声を出したところで「あれ? 次はいくつかな。」
確か12まで数えたと思って「じゅうーさん、じゅうーし、じゅうーご」と続けました。
「もういいですよ。電気ショックは終わりました。」と医者の声。
13を数えようとしたときに電気ショックだったのですね。いやな数字なのに。
心臓を止めるときに脳も休んではこまるので数字を考えるようにさせていたのでしょう。
私は47病後に心臓が動き出したようですが60秒以上休んでいたらそのまま死んでいたかも。
 
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